なぜ引分を引分として扱わないのか、という意見をお持ちの方が
結構いらっしゃるようですが、私は引分勝ちルール賛成派です。
32-32になった場合にどちらかを勝ちとする現行方式でも、再試合を
行って白黒付ける方式でもどちらでも良いのですが、とにかく
「引分」という結果が出てしまうのが良くないと思っています。
引分の存在を許してしまうと、価値の異なる試合が存在してしまうと
考えるからです。
勝ちを+1、引分を±0、負けを-1と考えて話を進めます。
1つの試合で、両者の勝数の合計は必ず0になります。勝敗が決した場合
でも引分の場合でも。なので一見公平っぽいです。
ただ、「その試合で動いた得点の絶対値の平均」という見方をすると、
勝敗の決した試合では1であるのに対し、引分の試合では0。
結果的に、引分のゲームは「試合をしていない」のと同じことに
なるわけですね。
6試合の大会であるとするならば、引分がなかった人にとっては
6試合で±1の変動があるのに対し、1試合引き分けた人にとっては
5試合でしか±1の変動がない。
極端な例で言いますが、一つの大会の中でどれか1つの試合だけ、
「勝者は+10、敗者は-10とする」と決めたとしたら、これは明らかに
不公平感を感じますよね。
つまりですね、引分になってしまったゲームというのは、結果的に
他の試合と比べて重みの低いゲームになってしまう。
両者が互いに勝ちを求めて戦った結果、いわゆる「痛み分け」に
なってしまうわけですね。
これはまずいんじゃないの? というのが私の考えです。
ノリとしてはアレですね、石数で順位決定するのは違うんじゃないの?
と同じかと思います。
Unknown
私が引き分け勝ち(または負け)に反対しているのは、ゲームの開始時点で、片方の対局者にアドバンテージを与えることになる点についてです。
結果として引き分けになったゲームの対局者のどちらかに、事後なんらかの方法により次の段階へすすむ権利を与えることについては、それが必要な大会形式であればやむをえないと思います。
中島さんの見解には、数字上のトリックがふくまれているように感じます、正負それぞれ1の方向性を持った値について、それぞれを絶対値にして、0と比較するのは、いかがなものでしょう。
少し変形して
負けを1引き分けを2勝ちを3にした場合、
両対局者の総和は0にはなりませんが、常に4
これだと いかが?
かなり省略しておりますが
意図はご賢察ねがえるとおもっております。
負けが最も重みのない結果
Unknown
そもそも引き分け勝ちルールそのものが、大会を円滑に運営するために考えられたものなので、引き分けありで運営できる場合にまで引き分けなしにする必要はないと思っています。
トーナメントで再試合の時間がないような場合にはやむを得ないと思いますが、例えば、昔の名人戦…タイトル保持者との○番勝負…なんてときには、引き分けは引き分けで良いのでは?
4番勝負で2勝1敗1分…などというときに、その引き分けを「負け」にする必要はないと思う。3番勝負で1勝1敗1分なら1試合再試合をすれば良いと思う。
Unknown
> 負けが最も重みのない結果
いえいえ、重みのある「試合」かどうかを言ってるので、「勝ち」「負け」「引分」の3つを比較してるんじゃありませんよ。
Unknown
-1, 0, +1 としたのは無駄に数学用語を使いたくなかったからで、それを+1, +2, +3 とシフトさせたところで結論は一緒です。
引分の試合では、両者の結果(+2 と +2)の平均は+2、標準偏差は0。
勝敗の決した試合では、両者の結果(+1 と +3)の平均は+2、標準偏差は1。
同様に引分のゲームの重みが小さく。
Unknown
数字で言うなら、勝ち=1、負け=0、引き分け=0.5としても良いですよね。それでスイス式で関東オープンなど運営できていたわけで…。これは引き分けの重みが低いのでしょうか。
Unknown
勝ち1、負け0、引分0.5ならば、
引分の試合は平均 0.5、標準偏差0。
勝敗の決した試合は平均0.5、標準偏差0.5。
当たり前ですが、同じ結果ね。
石数合計で順位決定を行うことってのも、運営上とっても楽ってのが一番にあるとは思うんですが、
1試合で両者の石数の和は必ず64
(石差の和は0と言っても同じです)
になることから正しそうに思えちゃうってのが原因だと思ってます。
和は等しくても、試合毎に標準偏差が違ってる。
2人で戦って一方が+α石、もう一方が-α石になるわけで、偏差値で言えば勝者が60で敗者が40。
全ての試合に重みの差がないのであれば、どの試合のどういう勝ち方も全て価値は等しくあって欲しい。
Unknown
すみません、今回の話はどうもついて行けていない気がします。
特に
> 結果的に、引分のゲームは「試合をしていない」のと同じことになるわけですね。
> 引分になってしまったゲームというのは、結果的に
他の試合と比べて重みの低いゲームになってしまう。
ここが良くわからないです。私が分からないということは、実は分からない人が多いんじゃないかと(^^;
引き分けを0勝0敗とするならそうだと思うのですが、昔、一般的には0.5勝0.5敗として扱っていましたよね。だから、試合をしていないのとは違う…と思っちゃうんですよね。レイティングにも算入するし。
上のやりとりでは「標準偏差が0」…確かにそうですが、それと「重みの低いゲームになってしまう」が頭の中でつながりません。
再試合をすることが前提なら、「勝敗」という点では引き分けは「試合をしていない」のと同じになるとは思うのですが、そういう話ではないですよね。
Unknown
前回の最後の1行は消し忘れでした。
たとえば、2人で3局打ってタイトルを争うような対局形式では引き分けをなくすべきであるとの根拠であるなら相当に思います。
Unknown
> 引き分けを0勝0敗とするならそうだと思うのですが、
> 昔、一般的には0.5勝0.5敗として扱っていましたよね。
引分で0.5勝得られる感じがするのでそう感じるわけですが、
全ての試合について初めから両者に0.5勝が与えられてて、勝者は敗者から0.5勝もらう、という見方をすれば、引分は試合をしてないのと変わらないってのが伝わるんじゃないかと思います。
引分の試合では結果的に両者間で何も移動してないわけです。
Unknown
試合形式その他、中島さんと私は意見が殆ど一致する中で、意見の一致していない数少ない項目がこれです。私は引き分け有り派です。
現行の引き分け無し制に、著しい不満があるわけではありません。まあ、これも有りかなという感じでそこそこ抵抗無く受け入れている状態です。
中島さんは、一試合ごとに偏差が動くべきと考えているようで、それはそれでなるほどと思うのですが、私は逆にこの部分に拘りが無いのです。せっかく全力を振り絞って試合をしても、結果引き分けで双方偏差が動かない事もある。オセロとはそういうゲーム、で納得できてしまうのです。
ちょっと乱暴な例えで恐縮ですが、引き分けを無くす方法として、たとえばオセロの64マスを1つ増やすか減らすかしてみたら? という提案があったらどう思いますか?
もちろんこれでも1個空きで終わって引き分ける可能性は無くはないのですが、たぶん現行のオセロより引き分けは格段に減るはずです(未検証)。
そんなのオセロじゃないよ!
そういう声が聞こえてきそうです。声というより怒号かな。
もちろん私もそう思います。そんなのオセロじゃありません。
しかしこれは見方を変えて、或いは極端な例えを持ち出したというだけのことであって、外野席さんが「引き分け無し制」に抱いている違和感は、「1マス多いオセロ」に対し一般的に抱くであろう違和感と同種のものではないかと思うのです。
10年先、20年先どのようなオセロが打たれているかわかりませんが、引き分け無し制だと最終的には「伏せ石で引き分け勝ちを選択した側の勝ち」というゲームになってしまうかもしれません。
それと、私はあらゆる点で世界選手権ルールをそれなりに気に入っているのですが、世界選手権は引き分け有りですよね。
縷々書きましたが、私としてはまあ別に現在はどっちでもいいです。どちらの立場、どちらの主張にもそれなりに理解できるところがありますので。