世界戦を終えて~メガハウスに感謝

日本では昔からそうなので当たり前のように感じてしまう部分もあるのですが、実は世界的に見たらすごいのが、世界戦に参加するにあたって、選手の金銭的負担がほぼゼロであるということです。

今年で言えば、アテネまでの旅費、あちらでのホテル代、そして食事に至るまで、全てメガハウスが負担してくれてます。ざっくり1人50万かかるとして、4人分なので200万円。

そして更に、日本は引率が付きます。これも当たり前のようにとらえがちですが、引率付きのチームなど、日本以外にありません。今年は小出専務理事、事務局の高橋さん、そして通訳として永岡さんの3人が一緒に来てくれてます。当然この3人の旅費・滞在費もメガハウスが負担しているわけで、3人分でざっと150万円。さらにこの3人は、メガハウスから給料をもらって働いている身のわけで、メガハウスとしたら彼らの人件費も負担しているわけです。10日間で1人30万と計算すれば、3人で90万円。
さらにさらに、世界選手権開催にかかる費用は、メガハウス、Angar、Mattel の 3 社で負担しています。全部で1000万前後と考えられるので、ここでもメガハウスは300万ほどは負担しているはずです。

ということでざっくり合計すると、なんとこの世界選手権のために、メガハウスは700万円以上負担しているという計算になります。

当たり前のように与えられていると、いつしかそれを当然と思うようになってしまいます。が、ちょっと考えてみれば、これだけのお金を負担してくれるところがあるから、世界選手権というものが開催できるわけです。そのおかげで、我々はそれを目指して日々頑張れるわけですね。

あと、お金だけではなくて、さきのブログにも書きましたが、小出さんを初めとするメガハウスのみなさまの選手に対する気配りぶりは半端じゃありません。我々が試合に集中できるよう、身の回りの世話を何でもしてくれるって感じです。9日間の滞在中、特に高橋さん(事務局に電話をかけると応対してくれる方)の立ち回りには感心させられることばかりでした。あーゆー、全体を見渡して間に入ってうまいこと調整する能力がある人って、目立ちはしないんだけれども、とっても重要な、ありがたい存在だな、って思いました。
あと細かいこと、いや、細かくないな、すごいなぁと思っているのが、小出さんも我々に会わせてエコノミークラスを使用しているところ。どこの会社でもそうだと思いますが、メガハウスもある肩書以上の人はビジネスクラスを使える、というか、使うように決められているはず。だけど小出さんは敢えて、我々選手に合わせてエコノミーを使うんですね。
そしてもちろんこれだけでなく、滞在中、小出さんは全て「選手のため」を判断基準に、いろいろ考えてやって下さいました。
  * * *

もちろん我々選手の日々の努力もありますが、その前に、こういう回りの方のサポートがあってこその日本勝利だと思っています。私はもちろんそうですが、大会を終えて、おそらく日本選手の全員、「ちょー楽しかった」という感想だと思います。
メガハウスのみなさまにはほんと、感謝、感謝です。どうもありがとうございました。また来年も連れてって下さいね!

「世界戦を終えて~メガハウスに感謝」への3件のフィードバック

  1. Unknown
    私が選手として参加した1982年頃は、当時のツクダオリジナルの社長・専務、取引のあった玩具店の店長御夫婦、連盟の理事1名、それにオセロ連盟が置かれていた広告代理店の社長など、総計10名を超える団体旅行(日本から添乗員付き)が「世界戦観戦ツアー」として行われ、選手もそれに「含まれて」いくという感じでした。

    ヨーロッパまでは直行便がまだなく、アンカレッジ経由。
    大会開催地のみならず、それ以外の大都市にも宿泊。玩具店やデパートなどの「視察」ということで。
    各地では最高級のホテル、最高級の食事が振舞われた贅沢旅行でした。

    日本人の海外旅行者数もこの頃は今の4分の1ぐらい。
    あらゆる意味で「特別」だったんですね。

    今は海外旅行自体が一般化し、世界戦ツアーも当時から見れば「質素」に見えるかもしれません。
    しかし選手として、世界戦でそれなりの結果を残すことを主眼に考えた場合、当時より今の方が優れていると思われることはたくさんあります。

    その1つは、思えば当然のことなのですが、ひとり一部屋が与えられるということ。
    昔は超高級ホテルだったかわり、他の人と同室でツインに宿泊していました。

    時差もあり、調整方法や対局に向けての準備の仕方に個人差のある中、個室でないというのは「お互いに」何かと気を使い大変です。

    最近の宿泊は超高級ホテルではないけれど、それでもこの点だけは以前より優れていると思います。

    これはひとつの象徴的なことですが、全体として「選手のため」に主眼が置かれた現在のスタイルの方が好ましいと私は考えます。

    返信
  2. 25年!!
    1982年というと、もう四半世紀前ですな。その当時と比べると、団体戦ができたり女子の部ができたりと世界大会も様変わりしたものです。

    無論日本代表の選考も、最初無差別一人から始まり、その後団体戦ができるようになったところ無差別、女子の部、そして理事(!!)という、外国代表にはなはだ失礼な選考。その後色々あった挙句真に日本を代表する3名のプレーヤーが選ばれるようになり、何とかいい方向に向かっているようですな。

    オセロの世界大会も、当初オセロの販売促進の一環として行われたきらいがあり、その色彩は今でもあるのでしょうが、tanidaさんの体験談を読むと、現在の状況がオセロプレーヤー本位の派遣であることがわかりました。やはり昔からのプレーヤーの昔話は興味深いです。

    返信
  3. Unknown
    私も昔のプレーヤーの一員です。
    此間の天王洲スペシャルで
    ブライアンローズを知らない人も
    現れました。

    その人のオセロの練習方法は
    PCを使わず、携帯電話だけだそうです。
    そして尚且つ最近コブラを始めたばかりで
    それまでは他のサイトのオセロをしていたそうです。

    これからはそういう人が増えてくるんでしょうかね~

    返信

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